演繹と帰納:推論の二つの型
前提から必ず結論を導く「演繹」と、個々の事例から一般的な結論を導く「帰納」は、確かさの性質が違います。二つの推論の違いと、実験で仮説を確かめるときの考え方、よくある推論の誤り(後件肯定)を紹介します。
論証は、前提から結論へと進む推論でできています。推論には大きく分けて二つの型があり、それぞれ確かさの性質が違います。自分の論証がどちらの型かを知っておくと、どこまで言い切ってよいかが判断しやすくなります。
演繹:前提が正しければ、結論も必ず正しい
演繹は、前提から、結論を必然的に導く推論です。
すべての人間は、いずれ死ぬ。ソクラテスは人間である。したがって、ソクラテスは、いずれ死ぬ。
前提が二つとも正しければ、結論が誤っていることはありえません。このような推論の形を妥当と言います。
ただし、演繹が保証するのは「前提が正しければ」という条件つきの確かさです。前提そのものが誤っていれば、形が妥当でも、結論は誤りになりえます。演繹を使うときは、前提が本当に正しいかを確かめることが大切です。
数学や論理学の「証明」は、この演繹にあたります(「日常と意味が違う言葉」)。
帰納:事例から、一般的な結論へ
帰納は、個々の事例や観察から、一般的な結論を導く推論です。
実験Aでも、実験Bでも、実験Cでも、覚えたあとに新しい情報が多いほど、忘却が多かった。したがって、新しい情報の多さは、一般に忘却を増やす。
帰納の結論は、前提を超えたことを言っています。そのため、事例がいくら増えても、結論が必ず正しいとは言えません。次の実験で、違う結果が出る可能性が残るからです。帰納の結論の確かさは、事例の数、多様さ、偏りのなさで決まります。
少ない事例から広い結論を出すのは、「誤謬」の「早まった一般化」です。
実験は、二つを組み合わせる
実験で仮説を確かめるときは、演繹と帰納を組み合わせています。
- 理論から、「この理論が正しければ、この条件ではこうなるはずだ」という予測を演繹する
- 実験で、その予測どおりになるかを観察する
- 予測どおりの結果がくり返し得られれば、理論は帰納的に支持される
このような進め方を、仮説演繹法と呼ぶことがあります(「仮説の立て方」)。
予測どおりでも、仮説は「証明」されない
実験の結果が予測どおりだったとき、次のように考えたくなります。
干渉説が正しければ、学習後に眠った場合は、起きていた場合よりも再生がよくなるはずだ。実験では、眠った場合の再生のほうがよかった。したがって、干渉説は正しい。
これは、「A ならば B。B である。だから A である」という形をしています。この形は、演繹としては妥当ではありません(後件肯定の誤り)。眠った場合の再生がよくなることは、記憶の定着が睡眠中に進む、という別の理由でも起こりうるからです。
予測どおりの結果が示すのは、「仮説と矛盾しない」「仮説を支持する」ところまでです。だから、実験レポートでは「証明された」ではなく「支持された」と書きます。ほかの説明を一つずつ除いていくことで、仮説はより確かなものになります(「考察の書き方」)。
反対に、予測どおりにならなかった場合は、「A ならば B。B ではない。だから A ではない」となり、この形は妥当です。もちろん、実験の方法に問題がなかったかは確かめる必要があります。
もう一つの推論:最良の説明へ
観察された事実を、もっともよく説明する仮説を選ぶ推論もあります(アブダクション、最良の説明への推論と呼ばれます)。
眠った場合のほうが、よく思い出せた。睡眠中の定着という説明もありうるが、起きていても、覚えたあとに似た内容を学んだときほど忘却が多いことも報告されている。これらをまとめてもっともよく説明するのは、起きているあいだに入る情報が記憶を妨げる、という考えだ。
考察で「なぜそうなったか」を論じるときは、この推論を使っています。ほかの説明の候補を挙げ、それぞれと比べて、なぜその説明がもっともよいと言えるのかを示しましょう。
レポートで気をつけること
- 演繹を使うときは、前提が正しいかを確かめ、前提を書き出す
- 帰納の結論は、事例の数と範囲に合わせて、言い切りの強さを選ぶ(「論証」)
- 予測どおりの結果からは「支持された」と書き、「証明された」と書かない
- 「なぜそうなったか」を論じるときは、ほかの説明と比べる