レトリックとの向き合い方:飾りではなく、根拠で説得する
学術的な文章にもレトリック(説得のための言葉の工夫)はあります。論証を支えるレトリックと、論証の代わりをしてしまうレトリックを見分け、強めすぎる言葉、問いかけの形の主張、たとえ、決まり文句、誰が言ったのかを隠す言い方との付き合い方を紹介します。
レトリック(修辞)は、読み手を説得するための言葉の工夫です。学術的な文章にも、レトリックはあります。ただし、学術的な文章で読み手を説得するのは、最終的には根拠と筋道です。言葉の工夫は、論証を読み手に伝わりやすくするために使い、論証の代わりにはしません。
論証を支えるレトリック、代わりをするレトリック
| 論証を支えるレトリック | 論証の代わりをしてしまうレトリック |
|---|---|
| 問いから答えへ、読み手がたどりやすい順に話を並べる | 強い言葉で、根拠の弱さを隠す |
| 「確かに〜。しかし〜」と、反論を認めてから応じる | 問いかけの形で、主張をはっきり言わずに済ませる |
| 根拠の強さに合わせて、言い切りの強さを選ぶ | たとえを、理由の代わりにする |
| 接続の言葉で、文と文の関係を示す | 決まり文句で、中身のなさを埋める |
| 他人の主張には著者名と出典を付けて示す | 「〜と言われている」で、誰の主張かを隠す |
左の列は、「構成」「反論と再反論」「論証」「接続の言葉」「根拠と引用」で紹介してきたことです。ここでは、右の列のレトリックとの付き合い方を見ていきます。
強めすぎる言葉
次のような言葉は、根拠が示している以上の強さを、文に与えてしまいます。
| 種類 | 例 |
|---|---|
| 強調の言葉 | 非常に、きわめて、明らかに、まさに、決して、絶対に、間違いなく |
| 感情や評価の言葉 | 残念ながら、驚くべきことに、深刻な、恐ろしい、素晴らしい |
| 全部を言う言葉 | すべての、誰もが、常に、まったく〜ない |
- 強調の言葉は、根拠の強さで置き換えられないかを考えます。「明らかに多かった」より、「約1.3倍多かった」のほうが、読み手は判断できます
- 感情や評価の言葉は、書き手の評価を、理由を示さないまま読み手に押しつけます。評価が必要なら、その理由を書きます
- 「すべての」「常に」は、一つの反例で崩れます。根拠が示す範囲に合わせて言います(「演繹と帰納」)
反対に、「〜かもしれない」「〜の可能性も考えられなくはない」と弱める言い方を重ねすぎると、何を主張しているのかがぼやけます。言い切りの強さは、根拠の強さに合わせます(「論証」)。
問いかけの形で主張する
本当に、減衰だけで忘却を説明できるだろうか。
このような問いかけの形の文(修辞疑問)は、答えを読み手にゆだねているように見えて、実は「できない」と言っています。ところが、問いかけの形のままでは、その主張に根拠を示す責任があいまいになります。
- よくない:本当に、減衰だけで忘却を説明できるだろうか。
- よい:減衰だけでは、忘却を説明しきれない。経過時間が同じでも、その間の活動によって忘れ方が変わるからである。
序論でレポートの問いを示すときの疑問文は、これとは別です。問いは問いとして、主張は主張として書きます(「序論の書き方」)。
たとえ
たとえ(比喩)は、わかりにくい考えを伝えるのに役立ちます。
記憶の検索は、図書館で本を探すことにたとえられる。本が書庫にあっても、目録の手がかりがなければ見つけられない。
説明のためのたとえは、使ってかまいません。気をつけたいのは、たとえを、主張の理由にしてしまうことです。
記憶は図書館のようなものだから、一度覚えたことが消えることはない。
図書館の本が消えないことは、記憶が消えないことの根拠になりません。たとえと実際とが、肝心な点で似ているとは限らないからです。主張の根拠は、たとえではなく、実験や資料で示します(「誤謬」)。
決まり文句
次のような言い回しは、どのレポートにも書けてしまい、中身を伝えません。
| 決まり文句 | 置き換え方 |
|---|---|
| 現代社会において、〜 | いつの、どこの、何についての話かを書く |
| 〜は非常に重要である | 何にとって、なぜ重要なのかを書く |
| さまざまな問題がある | どんな問題が、いくつあるのかを書く |
| 多様な視点から考える必要がある | どの視点から考えるのかを挙げる |
| 今後も考えていきたい | このレポートで言えたことを書く(「結論の書き方」) |
決まり文句を見つけたら、「具体的には?」と自分に問いかけ、答えを書き込みます。
誰が言ったのかを隠す言い方
睡眠は記憶に重要だと言われている。
干渉が忘却の主な原因だとされる。
「〜と言われている」「〜とされる」は、誰の主張なのかを隠します。読み手は、それが確かな研究の結果なのか、出どころのわからない噂なのかを判断できません。
書き直し方は二つです。
- 他人の主張なら、著者名と出典を示す:山田・佐藤(2021)は、睡眠が記憶の保持に重要であると述べている。
- 自分の主張なら、根拠を示して言い切る:睡眠をとった条件で再生が多かったことから、睡眠は記憶の保持に関わると考えられる。
論文型の文章では、「私」「筆者」を主語に立てず、他人の主張には著者名と出典を付けます。そうすると、根拠とともに示した主語のない主張は、書き手の主張として読まれます(「「私」の視点と、私がいなくても成り立つ議論」)。出典のない「〜と言われている」は、この区別を崩してしまいます。
反対に、「◯◯大学の研究によると」「◯◯教授によれば」のように、所属や肩書きを示して、主張を確かそうに見せる書き方もあります。これも、読み手が元の文献を確かめられず、肩書きが根拠の代わりになっています。研究は著者名と発行年で示します(「引用を生かす」)。
同じように、「〜が行われた」「〜が示された」のような受け身の文でも、誰が行ったのか、誰が示したのかが大切な場合は、それがわかるように書きます。
読む側として、レトリックを見抜く
レトリックに気づく力は、文献を読むときにも役立ちます。
- 見出しや要約が、本文の結果よりも強く言っていないか(「一次資料と二次資料」)
- 「専門家も認める」「多くの人が支持する」が、根拠の代わりになっていないか(「誤謬」)
- 数字やグラフの見せ方(縦軸の始まり、割合と人数の使い分け)で、差が大きく見えていないか(「図と表の作り方」)
- たとえや決まり文句が、主張の根拠のように使われていないか
こうした点に気づきながら読むことが、「批判的に読む」ことの一つです(「日常と意味が違う言葉」)。
エッセイや批評では
エッセイや批評では、言葉の選び方そのものが、文章の価値の一部になります。印象的なたとえや、読み手の心に残る言い回しが、書き手ならではの見方を伝えることもあります(「「私」の視点と、私がいなくても成り立つ議論」)。それでも、レトリックが根拠の代わりになってよいわけではありません。
確かめること
- 強調の言葉や感情の言葉を、根拠や具体的な数字で置き換えられないか確かめた
- 問いかけの形で、主張を済ませていない
- たとえを、主張の理由にしていない
- 決まり文句を、具体的な言葉に置き換えた
- 「〜と言われている」「〜とされる」には、出典を示したか、根拠を示して自分の主張として書いた
(例に出てくる文献は、説明のための架空のものです。)